本日、ユニオン東京合同さんから依頼をうけ
学習会をやらせていただきました
以下はそのレジュメです
8・2すべての原発を廃炉にする学習会
原発推進派をモトから断つ
【1】原発はなぜ廃止といいきれるのか
(一)福島第一原発の現実、現場からの怒りが絶対的証拠である
■大量の避難
・「東京電力株式会社福島第一原子力発電所から半径20km圏内の住民は、退避すること」
⇒「退去命令に従わなかった者」は「十万円以下の罰金もしくは拘留に処する」
・「半径20km以上30km圏内の住民は外出せず、自宅など屋内に退避すること」
◇数字で見る原発事故の影響◇(6月8日毎日新聞より)
総避難者数 9万9200人
⇒県内避難所へ2万3444人、県外避難所・公営住宅へ3万5557人、残りは友人・親戚宅等
⇒警戒区域人口約7万8000人、計画的避難区域人口約1万人
⇒そのうえでさらに緊急時避難準備区域人口約5万8500人がいる
※避難すべきとされているものだけで15万人以上。それ以外も近隣区域で避難を余儀なくされている人が多数。また避難できないで生活を続けている人たちも被害者である。郡山・福島・いわきの3市はそれぞれ30万都市である。これだけの人々の生活と人生を台なしにして、「電力が大事」もあったものではない。
※7月4日、福島第一原発周辺の子どもの45%が甲状腺被曝をしていることを、原子力安全委員会が発表した。福島原発労働者への250_シーベルト、福島県内の子どもへの20_シーベルトが被爆限度だと言うが、それがどれだけいい加減なものであるか。
◎6・19福島集会での国労郡山工場支部の橋本書記長発言
「怒りで血管がぶち切れそうになっています。私たちの生活、私たちの人生を台なしにしたすべてのものを、やつらの責任で元にもどしてもらおうじゃありませんか。それが可能とか不可能とか、そんなことじゃなくて、とにかく今やつらに、私たちのこの怒りを叩きつけてやろうじゃありませんか。それからしか、何もはじまらないと思うし、そこからしか、何も発展していきません」
■出荷停止問題
・福島の野菜や牛乳・魚(鮎やイカナゴ)は壊滅的にすべて出荷停止。
・茶は、茨城・神奈川・千葉・栃木・群馬の産地の多くで出荷停止。
・牛は福島・宮城の全域で出荷停止。昨日岩手も停止。栃木も。
※6・19福島集会での酪農家・鈴木光一郎さんの訴え
「牛乳は1カ月、2カ月、3カ月捨てました。私も1カ月半、牛乳を牧草地に捨てました。まったく無念でした。計画的避難区域の飯舘村の方々は、全財産の牛を売り払って避難しなければいけない。まったく無念の極みです。これも、あれも、まったく原発のせいです。われわれの仲間が1週間前に原発を恨みつつ旅だってしまいました。まったく悔しいです!」
(二)深刻な被曝労働の現実
定期検査・補修がもっとも深刻な被曝労働となる。24カ月間隔(以前は13ヶ月)1〜3カ月程度で1日千人もの労働者を動員して行う。原子炉内での放射性物質の除去、原子炉直下での配管やバルブの点検・交換など、非常に放射線量の高い場所での過酷な労働も多い。
1991年10月、中部電力の孫請け会社・協立プラントコンストラクトで働いていた嶋橋伸之さんが、原発労働での被曝が原因の慢性骨髄性白血病で29歳で亡くなった。嶋橋さんは定検時、原子炉の下にもぐり、装置を取り外して調べる仕事をしていた。88年9月の第1回定検時には核燃料が原子炉の中にあるその直下で作業をさせられていた。89年に激しい高熱と全身の出血斑を発症、壮絶な闘病ののち、91年10月20日に亡くなった。事故がなくとも、こうした被曝労働なしには存在できないのが原発である。
(三)そもそも原理的に安全が成り立たない
ウラン燃料は冷却しなければ3000℃以上にまで温度があがる。燃料ペレットは2800℃で溶ける。しかしペレットを包んでいるジルコニウムの融点は1852℃、厚さ3センチの鋼鉄製格納容器は1500℃前後で溶けてしまう。そして核分裂は放射能を必ず生じる。
【2】こんな危険な原発をなぜ日本は推進してきたのか
(一)原発導入の張本人=中曽根康弘
●『21世紀日本の国家戦略』中曽根康弘
第一次世界大戦における化学兵器の開発は、国家による科学技術の本格的利用として、歴史的に銘記されるものであります。また第二次世界大戦が勃発すると、米国では、アインシュタイン博士らの助言に基づき、機密費として約20億ドルの予算を確保してマンハッタン計画の名のもと、原子爆弾の開発研究が行われたことは周知の事実であります。国家が強力に科学技術政策を推進して現在に至っており、米国においては研究開発費の過半を国家が負担するという状況が長らく続いていました。
これに対して日本は、敗戦当初は大東亜戦争における敗北が科学技術力の劣勢にあったと痛感し、幣原首相をはじめ、科学技術の発展に力を注ぐことを主張しました。しかし当時は敗戦後の混乱や経済的困窮により、石炭、鉄鋼などの特定項目を重視した、いわゆる傾斜生産方式が採用され、科学技術政策は軽視されていました。しかし占領下、占領軍によって原子力平和利用研究や航空産業復活が禁止されていたことに私は注目し、昭和26年初頭、マッカーサー元帥に対して建白書を出し、原子力平和利用研究や民間航空機の製造保有を禁止または制限しないように強く要望したのです。当時私は、日本独立の基本政策に科学技術政策や原子力平和利用政策を埋め込もうと決意したのです。
●『自省録』中曽根康弘
広島の経験以来、原子力というものは気になっていました。……やはり日本は科学技術で国を興さなくてはいけないという思いを強くしました。……1953年、私はハーバード大学のサマーセミナーに招待されて渡米した折にセミナー修了後、原子力施設を見に行きました。……それを見て、日本も早くこの流れに乗らないとたちまち取り残されると、大いに焦燥感に駆られます。……帰国した私は、密かに原子力予算を出そうと検討を始めます。ここで一年遅れを撮ることは十年しても追い詰めないほどの開きになると、まなじりを決して取りかかりました。
※コメント
中曽根が原子力政策について語っている書物はいくつもあるが、上記2つの主著の引用からもわかるとおり、彼の問題意識はエネルギー政策ではない。第二次大戦敗北の総括として、科学技術政策をとらえている。「焦燥感に駆られる」というほど、他の先進国を意識したところから、強引に原子力政策を「決意した」のである。いわば敗戦国からのしあがるための国家戦略の柱に、原子力をすえたということである。そして自ら科学技術庁長官になったのだ。
大事なことはどう読んでもこれは単なる「科学技術の発達」について語っている次元ではない。つまりノーベル賞をたくさんとるというようなたぐいの「科学」ではない。明らかに戦争、しかも核武装ということにむけて、原爆を落とされた国の総括として、二度と負けないために核武装するのだという総括から「まなじりを決して取りかかった」のである。しかしこれは本当に許せないことだ。いったい何百万人、何千人の命をこの戦争で奪ったのか。その反省も痛みもない。戦略ゲームのように「どうすれば勝てるのか」を論じている。こういう奴に国の政治をやる資格はない。
そして「国家戦略だ」ということをもって湯水のように金が投入され、そこに利権が生まれ、様々な機構や委員会が設立され、亡者どもが群がってくるというなんとも腐り果てた状況が生み出された。これが「原子力村」の実態である。こうした連中がやることの大半はデータ偽造・隠蔽工作・世論操作・反対運動つぶしといった行為ばかりだ。
例えば東電の「有価証券報告書」を見ると、いわくつきの「普及開発関係費」(テレビスポンサーをはじめとした工作費)は、昨年度決算で269億円である。これに加えて「諸費」397億円というのもある。どこをどう改革するもない。バッサリと廃止するしかない。
(二)原爆と原発
●『原子力発電』武谷三男
現代はいまだに原水爆時代であって原子力時代ではない。一般にいって戦後の技術革新をになう主要な技術は、第二次大戦中に開発されたもので、戦争の性格を強く持っている。圧倒的規模での大量生産、大量消費は、第二次大戦の「皆殺し戦争」のやり方を、利潤場面に転用したやり方であり、戦争は勝つことだけに目的があり、あとは野となれである。戦時平時の各国独占資本のシェア争いの場面で同じことが行われ、あとは野となれ式競争が、地球汚染をまねき、特にブレーキのない日本で公害天国を現出させた。第二次大戦及びその後の技術革新の特徴を象徴的にあらわしているのが原子力である。これは戦争技術としては人類の滅亡を、今日ただちに用意しており、平和利用も不用意にやられたとしたら、やはりじわじわと人類を滅亡に導くであろう。
●69年の外務省の内部文書「わが国の外交政策大綱」
「当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在能力)は常に保持するとともに、これに対する掣肘(せいちゅう)を受けないよう配慮する」(外務省HPで読める)
◎実際、原発を強力に推進してきた政治家・評論家は軒並み改憲派である
・中曽根康弘(原発政策を国家戦略に)独自の改憲案までつくるほどの改憲派
・与謝野馨(日本原子力発電出身・現経済財政政策担当大臣)「憲法に自衛軍を盛り込むべき」
・上坂冬子(「原子力問題のウソ・マコト」の著書がある作家)「(こんな憲法を)よくもまあ六十年もの間、無抵抗に掲げてきたものだと思う」(07年5月3日産経新聞)
・さらにWILL今年6月号に渡部昇一(上智大名誉教授)と曾野綾子(作家)が「これだけの原発を建設した人はえらい」とか「福島原発に養老院をつくればかえって元気になるかも」だのと暴言を吐いているが、彼らも強烈な改憲派である。
◎さらには真っ向から核武装の本音を発言している連中もいる。
・麻生元首相「核武装についていろいろ議論をしておくことは大事なことだ」06年10月18日
・安倍晋三官房副長官(当時)「小型であれば原子爆弾の保有も問題ない」02年2月早大講演会
(三)原発のために労働運動を解体する
中曽根をはじめとした権力者たちが核開発政策を強引にすすめた理由はもう一つあった。それは国内問題である。敗戦後、支配階級の権威は崩壊し、労働運動は力強く発展し、とりわけ54年3月1日のビキニ環礁における米水爆実験と第五福竜丸の被曝を契機に原水禁運動としてさらに盛り上がっていた。日本初の原子力予算を中曽根が国会で電撃的に押し通したのと同時期であり、原子力推進者たちがその思惑を貫くには大量のデマ宣伝や御用学者の動員が必要になっていったのである。中曽根はできるだけ社会党幹部を原子力委員会に取り込みながら、核開発を進めていった。
しかし思惑どおりいかず60年安保闘争の爆発や、70年安保・沖縄闘争の爆発、ベトナム反戦闘争の高揚などにうちのめされる。その中曽根が労働運動解体に本気で乗り出すのが87年国鉄分割・民営化である。
●『日本の総理学』中曽根康弘
私が総理大臣を務めた、いわゆる在日期間は1806日。戦後三番目の長さになる。この間、たくさんの業績を上げることができた。なかでも一番、苦労し、それだけにやりがいのあったのは、国鉄の分割・民営化を軸とした三公社(国鉄・電信電話・専売)の民営化です。国鉄の背後には総評がいて、その力は強大で、分割・民営化などとても不可能と言われていた。もちろん、社会党や共産党がそれを支援していたからなおさらです。しかし私は心魂を傾けて取り組みました。
●『自省録』中曽根康弘
国鉄の分割民営化は、国労の崩壊、総評の衰退、社会党の退潮に拍車をかけて、55年体制を終末に導く大きな役割を果たしたのです。……国労の崩壊は、戦後の労働運動の一大転換点になりました。その背景には75年のゼネスト、いわゆるスト権ストで敗れた後遺症があったと私は見ています。……問題は総評と国労でしたが、改革にあたっては鉄労が健闘しました。鉄労は当時の民社党系の労組で、私はよく接触していました。動労も総評を脱退して、総評が崩れていったのです。
(四)これを新自由主義政策という
●『新自由主義――その歴史的展開と現在――』デヴィッド・ハーヴェイ07年3月
新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。たとえば国家は、通貨の品質と信頼性を守らなければならない。また国家は、私的所有権を保護し、市場の適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。さらに市場が存在しない場合には、市場そのものを創出しなければならない――必要とあらば国家の行為によってでも。
……これらすべてに必要だったのは、労働者と労働組織を従わせ、新しい社会秩序に順応させることだった。75〜77年の時期にNYが強力な自治体労組を打ちのめすことでその先陣を切ったのにつづいて、レーガンは全国レベルでそれを行った。81年に航空管制官のストライキを叩きつぶし、さらに政府の中枢会議の参加者としては組合は歓迎されない存在であることを組合に知らしめることで、そうしたのである。60年代に企業と労働組合勢力とのあいだでルール化された不安定な社会的合意は終わりを告げた。失業率が10%に迫った80年代半ばになると、あらゆる形態の労働組織に攻撃を加えその既得権も力も奪い去る絶好の機会が訪れた。
【3】総括
(一)推進派は反対の声が大きいぐらいでは原発をやめない
私たちにとって原発問題は、<安全><生活><被曝>という問題である。しかし政治権力にとっては、<国家の存亡をかけた戦略><二度と戦争に負けないための核武装>の問題なのである。こういう連中に「実は放射能は有害である」ということをいくら説明してもダメである。国のあり方を根本から問い直し、権力の座から引きづりおろすしかない。そう考えると途方もないかに見える。
しかし実はここに勝機がある。日本の支配階級の伝統的な致命的欠点は、全責任をとりきる政治指導者不在である。専門分野の官僚と無能な権力者の集合体で成り立っており、不測の事態への対応不能や長期戦略の空論は菅政権にはじまったことではない。闘う側が「国のあり方を根本から変更する」という立場で闘うならば、必ず敵は今回の「やらせ問題」のような失点を重ね、崩れていく。
(二)福島の怒りは絶対的に正義だ
この闘いで重要な点は、フクシマ原発事故が解決不能だということである。被害と犠牲は拡大の一途を辿り、むしろこれまでは序曲、怒りは何倍もの規模と激しさで爆発することになる。
工程表が第一ステップをおえて、第二ステップに移るといっている。しかしステップ1の「安定的冷却」というのは、とにかく水を入れ続ける体制を確立したということにすぎない。原子力安全基盤機構が想定してビデオまでつくってきた「メルトアウト」の状態が今の1〜3号機の現状であり、もはや燃料の取り出しは不可能。長期にわたって放射能を吐き出し続ける以外にありえない最悪の事態なのだ。
そのすべてがフクシマの人々を直撃している。その地に踏みとどまり、生きぬき闘う人々の存在こそ、絶対に東電も国家権力も否定できない正義だ。フクシマの闘いに最大の関心を払い、その訴えを自らのものとして行動するならば絶対に勝つ。
(三)徹底的に大衆行動を拡大する
したがって結論は、国家権力と東電に対する大衆行動を多少の困難があろうとも、徹底的に押し広げていくということに尽きる。ここで大事なことは、広く呼びかけ、誰でも参加できる形態を貫きながら、やはり敵は敵でそれを妨害し切り落とそうとするわけだから、やりあいに勝っていかなければならない。そのために、職場・地域での日常不断の学習会やビラ宣伝、とりわけ労働組合の方針にしていくことが大事である。中曽根がやろうとした逆をやってのけるのだ。
次の行動に大胆に踏みだそう! 新橋アクションを発展させよう!
posted by ワクワク at 00:10| 東京

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反原発
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